お疲れ様です。
ゴールデンウィークどうお過ごしでしょうか!
「令和」が始まりました(‘ω’)
新たな激動のデジタル時代へ突入していきます。
少し間が空いてましたので続きを一気に行きます!!
25日米子の次の日は車で呉へ!
「やまなみ街道」無料区間です。
車両が少なく、景色も良いしバイクなら気持ち良いと思いますよ。
(インターネット引用)
「しまなみ海道」の山側ですっ!
是非、仕事では無く家族や友人との旅行で行ってみて下さい。
呉工場の物流部門に行き
挨拶とお礼をお伝えに行きました。
2年前の単身で広島に来た所長が、
部下の方たちから慕われているのを見て、
本当にご苦労されて、創り上げたて来たのかと感銘を受けました。
まだまだ取り組む事が沢山あると言っていました(゚Д゚)ノ
(インターネット引用)
その後は地元の輸送関連の企業様へ伺いまして、
社長の娘様が、「心おれそうです」と言いながらも、
奮闘している姿に、自分も”もっともっと頑張ろう”と
心に決めました(゚Д゚)ノ
呉工場は
海軍航空廠跡地に産業復興のため,米・麦・セメントなどの
重量物を入れる袋用の未晒クラフト紙の工場でスタートし,
その後,封筒用の半晒クラフト紙やデパートの手提げ袋用の
晒クラフト紙も製品に加え,クラフト紙を全国で1番
多く製造するようになった。
(広島県ホームページ参照)
(ホームページ引用)
皆さんが普段使う馴染みあるもの!
段ボールの外装、紙袋、雑誌の表紙、
ガムテープ、石膏ボードの表面、
化粧板の表面等の原紙なるもの!
↓↓↓
段ボール原紙、白板紙、クラフト紙、塗工紙
ねっ、親近感湧くでしょう(‘ω’)/
(ホームページ引用)
皆さんが普通に「運んでいる」
ものが加工されて知らない間に
自分の家にあるかも(ー_ー)!!
ありがたい事です!
呉といえば、以前に「大和ミュージアム」
本物の潜水艦を資料館にした「鉄のくじら館」
港の風景、海上保安庁、海上自衛隊等
呉市内の街並み、港の風景をサラッとご紹介しましたが
(過去の弊社ブログに載せています。是非見て下さい!)
大和波止場公園からの風景
で、弊社の海上コンテナでも運んでます,
”ONE” オーシャンネットワークサービスジャパン
日本の三大商船会社「日本郵船」「商船三井」
「川崎汽船」がコンテナ船事業を統合した新会社
(インターネット引用)
2隻コンテナ船の赤ちゃんを造って
風景をご紹介しました。
(ピンクがかなり有名で、
Twitterや船を愛するブロガーがUPしています)
この作っています会社が
“JMU” ジャパンマリンユナイテッド
IHIマリンユナイテッドとユニバーサル造船が合併してできました。
(インターネット引用)
名だたる企業が合併して出来ています。
日本に置けます造船の状況はというと
(国土交通省引用)
”JMU”は日本第2位です。世界で見ますと
第6位です!船と言えば
トラックと同じ製品を運びます内航船は
内航船の動きによりトラック輸送にも深く関係しています。
内航船は天候が荒れた場合、トラック輸送に振り替えられ、
いきなりその予定区間が、忙しくなる事もあります。
JMUは色々な船を製造しています。
ホームページで見て下さい!
↓ドックの風景「大和のふるさと」と
垂れ幕に書いてありますが!
(インターネット引用)
そうなんです!以前ここは”呉海軍工廠”でした。
戦艦大和も建造されていました!
(インターネット引用)
呉海軍工廠(くれかいぐんこうしょう)は、広島県の呉市にあった
日本の海軍工廠。戦艦大和の建造で有名だが、終戦により工廠は解散。
現在はジャパン マリンユナイテッド呉工場として大型民間船舶の
建造を行っており、艦艇建造は行っていない。
1903年 (明治36年)に日本海軍の組織改編で呉海軍工廠が誕生。
その後は東洋一と呼ばれるほどにまで設備を充実させた。
工員の総数は他の三工廠、横須賀、佐世保、舞鶴の合計を越える程で、
ドイツのクルップと比肩しうる世界の二大兵器工場であった。
戦艦「大和」を建造するなど多くの艦艇建造を手がけ、
日本海軍艦艇建造の中心地となった。
呉海軍工廠が大和建造時に採用した船体を部分ごとに造る
ブロック工法、部品共通化などの革新的管理システムは、
後に世界に広まる効率的な日本型生産方式の源流ともいわれる。
(Wikipedia引用)
1937年建造 空母 蒼龍 (インターネット引用)
当時から日本のモノ造り精神や、
技術は凄かったのですね(ー_ー)!!
次の日の帰りの広島駅の近くで、「ぶあいそ」居酒屋さんです。
多分、入ればかなり愛想が良い接客でしょう(^^)/